ヤッホー!暮らしの往復書簡vol.36 富士山の存在

2021.08.10

コラム

これは、私が佐那河内村の隣、神山町に住むフードフォトグラファー・近藤奈央(こんどうなお)さんとの公開往復書簡です。日々の暮らしの中で思ったこと、気づいたことをお互いのブログでお手紙のように伝えていきます。近藤奈央さんのサイトhttps://magewappa-bento.com/

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なおさん

富士山のお話、興味深かったです。

あまりにも近すぎて、それがヒューマンスケールを超えていてわからなかった、

ということについて、実はすごく普遍的なことのように思えました。私たちは大きすぎて全てがわかるはずのない世界に生きていて、自分に都合のいいところだけを切り取って生きているんですね。

ある時、切り取っていた世界の外に出会うと、びっくりしてしまうわけです。

さてさて富士山について。

私は出生が静岡で、育ちが関東なので、小さい頃から富士山が見える環境で過ごしていました。

晴れた日、小学校の休み時間に屋上に上がれば、「あ!富士山だ!」というのが子供たちの常套句でした。

当時の小学校から富士山まで140kmくらい。三角の頭が見えると、なんだか嬉しくなったものです。

大人になってからも、様々な場所から富士山を見ましたが、落ち込んでいる時に見れば励ましとなり、特に何もなかったとしても、富士山を見ることができたらいつも嬉しいものでした。

さらには、「見えなくても嬉しい」という体験をしたことがあります。

5〜6年前、入院していた時のこと。病室から外に出られないので歩ける患者は窓際に行って景色を眺めるのが楽しみの一つでした。

自然と富士山が見える方角を探してしまうもので、北西に面している窓から富士山がよく見えることがわかりました。

ある晴れた日の早朝、その窓際に数人の患者が集まっていました。皆、富士山が見えるだろうと期待しているのです。ですがおかしいですね、天気はいいのになんだかガスがかかっていて よく見えない。

「見えなかったねえ。」

と患者同士口々に交わし、そろそろ朝食が配られるのでと、自分の部屋へそぞろに戻っていきました。

変ですね、富士山て、見えなくても悪い気がしないのです。

なぜかはわかりません。富士山て、会えなくても悪い気がしない、不思議な存在。

「見えなかったねえ」と口にしたあのおばあちゃん口調は、残念なものではなく柔らかな話し方でした。

今思えば、見えるか見えないかはあまり重要ではなく、目の前にしている状況を誰かと共有できたということにあたかな心の触れ合いを感じ、今日も頑張ろうという励みになったのかもしれません。

四国に来てから、富士山が見えなくなりましたが、いつも心に思い浮かべることができます。

心象風景というか、自分の奥に深く焼き付いているようです。

以下は 飛行機から見下ろした富士山です。飛行機からの富士山も格別ですよ。

上空からの富士山頂

上空からの富士山