誕生日に想う、沖縄 – 1

2021.07.06

コラム

私の誕生日は6月23日で、親からはこのように教えてもらった

「天皇が年に4回、祈りを捧げる日のうちの一つ」なのだと。

8月6日、8月9日、8月15日 この日が何の日かは記すまでもない。加えて6月23日は、沖縄戦の最終戦となった日だという。幼い頃に教科書で習った覚えはなかった。

3年前、初めて広島を訪問して祈りを捧げてきた。献花台は、イサム・ノグチによるものだ。ノグチは、アメリカと日本の両方の血をもつ者として生まれ育ち、自身の作品からは、特に広島でみる作品からは身の裂けるような想いが感じられる。自分とは何者なのか。この日も外国人客で溢れていた。

6月23日に生まれた私は、いつか沖縄を訪れ祈りを捧げなければと、感じてきた。

いつか、は、やってこない。

だから行くことにした。

3回見ると願いが叶う、ハート型の島

所用を済ませ、どうしても行きたかった「ひめゆりの塔」へ。

がじゅまるの大木が迎えてくれた。私には、優しい精霊が宿っているように感じられた。木の左側に、その存在を感じることができる。

ひめゆりの塔の近くのがじゅまるのき

戦争の痛みを見える世界で、また見えない領域でずっと抱えてきた沖縄。「センシティブな人は、見えない魂の痛みを感じてしまうので沖縄へ出向くことができない」と話す人がいた。今はかなりの魂が癒されているため、訪れることができるようになったライトワーカーが多いという。私がそれに当てはまるかどうかはわからない。

壕の前に立った。私は やっと挨拶にこれました、という感慨にあふれていた。痛みを感じるが、癒されている空気をも同時に感じる。さほど遠くない昔に、私たちの兄弟がここにいたのだ。

会館の展示を見ながら歩き進めると、私は常軌を逸した世界に投じられ善悪も何もかもがないまぜになっている様に、怒りや悲しみを超えた、分別しようのない感情や感覚がに戸惑っている自分を覚えた。

ほんのすこしの時間、その時空に自分を委ね、悲しみを手放して暖かな祈りを捧げた。後世に生きる私たちに与えられた役割は、ともに悲しむ事ではない。痛みにふれ優しく包み越えて行く事だ。

展示後半の部屋には、この壕で亡くなった方々の写真が飾ってある。どこか懐かしい気すら覚える。

「やっとこれました、ありがとう」

ただその気持ちを添えたかった。

もう後戻りすることはなく、出口に向かい、会場を出た。

その時のことだ。

一羽の蝶が私をはらはらと、追いかけてきた。蝶は私の周りを一周した。こんなことあるだろうか?

おそらく彼女(蝶)は、過去にひめゆり学徒隊に属した誰かだろう。

蝶は私に「ありがとう」と言ってくれた。

それ以外、考えれら得なかった。

本当にここに来てよかった。来るのに何年もかかって、本当に申し訳なかった。思わず涙がこぼれた。