私の誕生日は6月23日で、親からはこのように教えてもらった
「天皇が年に4回、祈りを捧げる日のうちの一つ」なのだと。
8月6日、8月9日、8月15日 この日が何の日かは記すまでもない。
加えて6月23日は、沖縄戦の最終戦となった日だという。幼い頃に教科書で習った覚えはなかった。
3年前、初めて広島を訪ずれ祈りを捧げた。献花台は、イサム・ノグチによるものだ。ノグチは、アメリカと日本の両方の血をもつ者として生まれ育ち、自身の作品からは、特に広島でみる作品からは身の裂けるような想いが感じられる。自分とは何者なのか。この日も外国人客で溢れていた。
6月23日に生まれた私は、いつか沖縄を訪れ、祈りを捧げなければと心の奥底で思っていた。
思っていても、”いつか”は、やってこない。
だから行くことにした。
所用を済ませ、どうしても行きたかった「ひめゆりの塔」へ。
がじゅまるの大木が迎えてくれた。私には、優しい精霊が宿っているように感じられた。木の左側に、その存在を感じることができる。
戦争の痛みを、目に見える世界で、また目に見えない領域でずっと抱えてきた沖縄。
「センシティブな人は、見えない世界の魂の痛みを感じてしまうので沖縄へ出向くことが難しい時代があった」と話す人がいた。今はかなりの魂が癒されているため、訪れることができるようになったライトワーカーが多いという。私がそれに当てはまるかどうかはわからない。
(おそらく、他の戦地や被災地にも言えることだろう)
車をとめ、ついに戦士とひめゆり学徒隊がこもった、壕の前に立った。
「やっと来ました」
感慨にあふれていた。
痛みを感じるが、癒されている空気をも同時に感じる。さほど遠くない昔に、私たちの兄弟がここにいたのだ。
入館し、展示を見ながら歩き進めた。すると戦争ゆえの常軌を逸した世界に足を踏み入れたことに気がついた、善悪も何もかもがないまぜになっている様に、怒りや悲しみを超えた、分別しようのない感情や感覚に戸惑っている自分を覚えた。
その時空に自分を委ねるしかなかった。
悲しみを手放して暖かな祈りを捧げたいと思った。
後世に生きる私たちに与えられた役割は、ともに悲しむ事ではない。痛みにふれ優しく包み、越えて行く事だ。
展示後半の部屋には、この壕で亡くなった方々の写真が飾ってあった。どこか懐かしい気すら覚える。
「やっとこれました、ありがとう」
ただその気持ちを添えたかった。
もう後戻りすることはないちお、出口に向かい、会場を出た。
その時のことだ。
一羽の蝶が私をはらはらと、追いかけてきた。蝶は私の周りを一周したのだ。こんなことがあるだろうか?
おそらく彼女(蝶)は、過去にひめゆり学徒隊に殉した誰かだろう。
蝶は私に「来てくれてありがとう」と言ってくれた。
それ以外、考えれら得なかった。
本当にここに来てよかった。
来るのに何年もかかって、本当に申し訳なかった。思わず涙がこぼれた。
(2に続く)