ヤッホー!暮らしの往復書簡vol.12 私のゴミ捨て履歴

2021.02.24

コラム

これは、私が佐那河内村の隣、神山町に住むフードフォトグラファー・近藤奈央(こんどうなお)さんとの公開往復書簡です。日々の暮らしの中で思ったこと、気づいたことをお互いのブログでお手紙のように伝えていきます。近藤奈央さんのサイトhttps://magewappa-bento.com/

「買い物の権利は自分にあり、そのルールは自分で決められる」ということは、どう暮らしたいかということが、自分の中に泰然とある状態のように思えました。何かに追われた生活の中では、「自分ではない何かの為に」「〜せねばならない」が優先され、自分で生活のルールを創造していることを案外忘れがちです。

東京で暮らしていた時にどんな風に買い物をしていたのか思い出してみると、ゴミは出て当たり前のもので、いかにゴミを出さないかということはほとんど考えていませんでした。

それが一変したのは、徳島市に引っ越してからでした。東京の家では、燃えるゴミもプラごみも、資源ごみも週に1回捨てることができましたが、徳島市ではプラごみの収集は2週間に1回。資源ごみは月に1回くらいのペース。引っ越し当初は何も感じていませんでしたが、やがて2週間ごとに溜まっていくプラごみの量を目の当たりにし、びっくりしました。自分でこんなにもゴミを出していたのかと。

それから、買い物の際にはなるべく紙パックの商品を選ぶようにしました。

私の購買行動、あるいは商品を選ぶ目線が変わったきっかけは、環境への意識が高まったからではなく、自宅にゴミを溜めたくないという私的な欲求からでした。

「先に決められた出口(=ゴミ捨てのルール)によって、入り口(=買い物行動)が作られる」

そんな風に感じました。

今、暮らしている佐那河内村にきてからは、ゴミ捨てに一層の集中力が必要になりました。村内にはゴミ収集車が走っていないのです。週に1回、集積所にゴミ収集車が来るので、それまでゴミは自宅に溜めて起き、ゴミの日にゴミを車に積んで捨てに行きます(ゴミという言葉を連呼してしまいました)。

ここで、教わったことは

「ゴミが捨てられるとは、とてもありがたいこと」。ゴミが捨てられた後といったら、すごくスッキリして、晴れやかな気分なこと。

24時間いつでもゴミが出せる整備された環境下では、ゴミ捨てのありがたさを想像することは難しいでしょう。だけどなおさんのように、当たり前ではないと疑ってみると、ルールを変えることもできるし、感謝さえ生まれてくるんだなあと感じました。