ワークショップを開催するビル
オーナーがサインボードにチラシを貼り付けてくれました。
ありがたく、ちょっとうれしい出来事。
オーナー様は 日本画の作家でもあり
お話しする機会を得ました。
「制作のとき、何を考えて作っているのか」
私にとっては究極の質問でしたが、投げかけてみると
「魯山人はね、作品は考えるものではなく、湧き出るものだと」
たしかに、魯山人は絵も書も陶芸も文筆も超えて
自由に表現を体得した方ですね。
「見る人を意識して画面構成を考えることもある」
「具象ならある程度、見る人にとってのわかりやすさも必要」
旧来の美術家は、誰もみてくれなくても
自己表現にとどめている作家も少なくなったとのことです。
それは、私も思います。
誰のためでもなく自分のために書いてきました。
だけど、やはり見る人あってこそ、
作品が「生きる」
という話をいただいた。
特に書の場合は文字ですので 読めることが前提
読めないことは 見る人への敬意が不足している、とか
文字の機能を果たしていないとも
思います。
でもそのラインに挑戦したい
読めるのか、読めないのか
わかるのか、わからないか
正解なのか 間違いなのか
王道なのか タブーなのか
美しいのか
それが 表現か。
何を考えて作るのか。
美大を目指す前、
私が習っていた画家の師に聞いたら
「なにもかんがえてないね」と返ってきました
いまのわたしの場合は 「幸舟」という号をいただいたので
何か幸せを発したい と願っています。
ですが・・・
これはエゴかもしれませんね。